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心いたしました。でも、口のほうは遅いなーと思うようになりました。みんなは、足は大丈夫だから、「口は遅いのだよ」と励ましてくれたことを信じつつも、子育ては何も知らない無知な私でした。
家は農家なので、日中は祖母が見てくれてましたので助かりました。三歳児検診のとき、前のようなことをいろいろとお話ししたら、「病気を治すためにしてくれた注射が悪かったのではないか」とのことでした。耳鼻科で検査をしてもらったら、片方だけがかすかに聞こえました。耳の中は異常がないので、神経が圧迫されているのではないかとのことでした。
そのとたんに私は、岸壁より突き落とされたような衝動にかられました。いずれにしても、それからというものは、どんな苦労をしても、「治さなければ」と、嫌がる子供をお菓子やオモチャでなだめながら一生懸命、種々の治療を受けました。しかし、願いも空しく子供の耳は形ばかりの耳になってしまったのです。
子供は親の心配をよそに、自分の状況を知る由もなく、近所の子供たちと遊んでいる姿を見るにつけ、また、学校への入学を考えると先行き不安で胸が痛むのでした。
そして、昭和三十三年に山形ろう学校に入学したのでした。健聴ならすぐ近くに学校があるのに、電車で山形駅まで五十分、それから徒歩でいかなければならず大変に遠いのです。私と夫は農作業があるので、毎日の通学はお祖父さんが付き添いになってくれました。この日から夢想だにもなかったことが現実になったのです。農作業の出きない日は、私や夫、同居の伯母さんたちまで一家総出での協力で、通学することができました。雨や雪の日などはまだ小さい

 

 

 

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